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散録

吉原通り – 東映太秦映画村

太秦映画村には,いろいろと過去の時代を再現したエリアが多くあるんですね.

その中のひとつが,吉原通りです.

吉原通り - 東映太秦映画村
吉原通り – 東映太秦映画村

簡単ですが,吉原について調べてみました.

江戸の頃は, 「お伊勢さん詣で」に並び,「吉原で遊ぶこと」が男の一番の願望であったそうです.

吉原の街は,現代の午後6時ごろにあたる酉の刻・暮れ六ツに夜見世が始まり,見世清掻き(みせすがかき)という開店を知らせるお囃子(はやし)とともに,遊女が張り見世につきます.

すると,多くの武士や町民がこぞって集まったそうです.

ところで,「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」と川柳に詠われたように、吉原の街は光り輝いていたので,吉原には、素見(ひやかし)と言って登楼しないで廓の中をぐるぐる廻り,遊女を冷やかすだけのお客も多かったようです.

さて,妓楼(ぎろう:遊女を置いて客を遊ばせる家)には,格式があり,格式によって見世の格子の作りが違っていたようです.

見世には籬(まがき)と呼ばれる格子があり,籬には,総籬(そうまがき)半籬(はんまがき)があり,どんな籬をつけているかで,見世のランクが分かれていました.

籬は上から下まで全面格子になっているものが総籬で,「大見世」と言い,最高級花魁がいる店でしたが,花魁(おいらん)はここには並ばなかったそうです.

それ以下の店は,張り見世方式(直接顔見せ)で,中見世,小見世,切見世などの半籬があり,遊女はここに並んで顔見せしていたそうで,客は物色して回っていたとのことです。

なお,遊女は27歳を過ぎたらお役ご免で,自由になれたそうです.家庭を築いたり,遣り手婆となって見世に残ったり,別の場所で客を取り続けるなどしていたそうです。