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散録

海外の子どもへの募金活動について思うこと

駄文です。

 

何年も前のことでしょうか。

 

TVで、発展途上国の子どもために募金活動している人の特集番組が流れていました。

 

そのときに、こんなことを言って批判する人か紹介されていました。

 

日本にも貧困に困っている子どもは多数いるわけで、 なぜそれに目を向けずに海外なのか?と。

 

募金をつのる暇があったら、アルバイトして自分で募金しろと。

 

結局は偽善なんじゃないかと。

 

募金をつのる側にとっては、うまく言い返すのか難しそうな意見です。

 

しかし、やらないより、やるほうが遥かに道徳的です。

 

たとえ偽善であっても、そこには何かしらの意味があるでしょう。

 

ただ、個人的には、日本人を優先して欲しいという部分には、すこし共感したのです。

 

▶︎人は人

 

日本人を優先〜と思ってしまった自分には多少なりとも同族意識というものがあるのだと思いました。

 

しかし、人は人です。

 

困っているという事実に、国籍も人種も関係ありません。

 

人は生まれる場所を選べないのだから、たまたま生まれた場所が悪かった人が、不幸なままでいるのは可哀想だという考え方です。

 

なぜ、自分の「同族」の範囲は、「人」ではなく、「日本人」なのでしょう。

 

自分が後者なのは、生得的なものなのでしょうか。

 

それとも、単一人種国家(島国)で育ったことなどによる後天的なものなのでしょうか。

 

うーん。

 

ちなみに、こんな言葉を思い出しました。

 

聖書の「汝の隣人を愛せよ」という言葉です。

 

自分を愛するのと同じように、隣人も愛すべきだ、という教えですね。

 

ここでいう隣人とは、いったいどこまでを言うのでしょうか。

 

考えてもよくわかりませんね。

 

視点を変えてみましょう。

 

自分が発展途上国の子どもだとして、援助してもらいたいのは、自国の大人か、先進国の大人か。。。

 

考えてみたら、結論は「どちらでもいい」になりました。

 

援助される側にとっては、援助する人がどこの誰であるかは問題にはならないのですね。