部下の指導法について、ネットサーフィンしていて、あるあるだよね、と思ったツイートがこちら。
すごく賢い人って、たぶん自分の学習プロセスをあまり意識したことがないせいだと思うんだけど、自分と同じようにできない人を、無能ではなく、怠慢とみなす場合があって、これが教師と学生のあいだで起こるとき、無能とみなすよりも強く傷つけることがあると思うのね。真剣な遅さを理解してほしい。
— Kodai Abe | 阿部幸大 (@korpendine) November 17, 2018
有能な人(であると自覚する人)は、部下が自分と同じように成果を出せないことを 「努力していないからだ」と考え、部下に怒りを覚えるのだろう。
その結果として起きるのは、悪循環。
「がんばれば、できるようになるはずだ」と期待の言葉をかけつつ、無理矢理がんばらせるが、やはり結果は出ない。
上司も部下も、不幸である。
どうせなら、「君には無理だ」「別の仕事を探せ」と言ってあげたほうが、部下の将来を考えると、より良いのかもしれない。
ここで思うのは、本当に望ましい社会とは、無能さを許容する寛容な社会であろう。
しかし、現代の日本の多くの会社では、効率化を求められ、そのような人的余裕はない。