こんばんは。
人々のインターネット空間の捉え方は、年月と共に、大きく変わってきていますね。
それは、人々のアクセスするとメインどころが、ホームページ→掲示板→ブログ→SNSなんていうように変遷したことと無関係ではないでしょう。
かつてインターネットに書き込まれることは、『便所の壁の落書きと同じだ』なんて言われていたことがありますね。
某掲示板で「⚫ね」といったところで、それは冗談であることが自明であったわけです。
ところが、いまでは、SNSで「⚫ね」と言えば殺害予告だと認定されてお縄になってしまう、余裕のない感じです。
言葉狩りにも近い状況でしょう。
たとえば、Twitterでは、ある人は、Twitterという空間を、便所の壁のように捉え、落書きスペースとして利用しています。他方、ある人は、まるで社会の一部であるかのように捉え、自分を律しつつ、他者に対しても自律を求めています。
前者と後者は共存が難しいのは言うまでもなく。
これに類する状況が招くのは閉塞感、そして引き起こされるのは、インターネット離れらしく。
おそらくは、ローカルさが消えてしまったということです。
この「ローカル」の消失は、なんとなく、現状を理解するための言葉として、しっくりきますね。
特定の趣向をもつ人たちにだけ拡散したいことがある場合、いまのメインのプラットフォームは、不向きなので、リアルに比重がうつるという状況。
人間には
ここでは何を言っても大丈夫だろう
という空間・相手が必要なんですね。