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散録

自分の代わりはいくらでもいる・・・としたら

ここは電車の中。

いま、私の眼前で、ひとりの女子大生がTOEFLの参考書を読んでいます。

この女子大生は、留学のためにTOEFLのスコアが必要なのでしょうか。

もしかしたら、将来、英語を使う仕事に就くことを希望しているのかもしれませんね。

さて、ふと思ったことは、この女子大生が、その仕事に就けなかったとしても、そのポストには、だれか他の人が就くということです。

 

代わりがいるということ。

 

・・・世の中の既存のあらゆる仕事は、そうなのかもしれません。

 

みんなが代替可能な歯車として、社会という機械の中に収まることによって、社会は稼働できるのですね。

 

そう考えると、仕事のやりがいとは何なのだろうかという疑問は出てくるでしょう。

 

もし、『代替可能な歯車になるのは嫌だ。』と思って、仕事に、「自分がやることに意味がある」を求めるのであれば、それは、組織の中の仕事ではなく、自分で新しい仕事をつくるしかないでしょうか。

 

しかし、みんながみんな、それができるわけではないので、みんなモヤモヤしながら働いているのかもですね。

当然ながら、他人の気持ちは分かりません。