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散録

歴史を学ぶ意義-原子爆弾を正解/不正解で語ってはいけない

8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。

8月9日は、長崎に原爆が落とされた日です。

さて、アメリカが広島と長崎に原爆を落としたことが、(アメリカにとって)正解だったのかどうかが、たびたび、議論の対象になるようです。‬

よくある説明では、「原爆‪が戦争を終結させた」なんて言われていて、それは一定程度の支持を得ているようです。

しかし、原爆を落とされたことで、戦争に直接参加していない、大勢の一般市民が亡くなったり、大勢の方が後遺症に苦しんでいたりするのも、また事実。

「正解だった」と言う人は、もしも、再び世界のどこかで戦争が始まったとして、核爆弾が使用されることを容認するのでしょうか?

不正解だった、と言う人は、どうすれば、あの戦争を終結させられたと考えるのでしょうか?

…正解/不正解の話をするのは、意味がないですよね。

当時がどうだったかなんて、私たちには分かりかねるからです。

歴史は歴史であり、正解/不正解で語るものではないと思われます。

尊い命が失われた方々のご冥福を祈るべきで、「戦争を繰り返してはいけない。」を世界共通認識でやってもらいたいですね。

繰り返さないために、どうすればいいかが大切でしょう。

歴史を学ぶ意義ってそういうことなんだと思います。