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散録

他人に心はあるか?哲学的ゾンビ。

こんなことを思います。

 

[命題] 自分に主観はあり、同様に、他人にも主観がある。

 

これは普遍的なものとして捉えられています。

 

それゆえ、

他人の喜ぶことをしようとか、

反対に、人の嫌がることはするべきでないとか、周りの人に配慮しましょうとか

こう言われているのですね。

 

しかし、上記の命題は、理屈に過ぎません。

 

自分に分かるのは、自分に主観があることのみです。

 

他人の主観の存在は、証明のしようがないのですね。

 

他人の笑いや涙などの感情すべては、実在しない可能性がありますね。

 

最近の流行り言葉でいえば、哲学的ゾンビでしょうか。

 

そう考えると、他人に何をしても、構わないという発想が生まれます。

 

その発想は、犯罪にもつながりうるものですが、命題を証明できない以上、その発想は否定しきれるもなではないのですね。

 

たとえば、ニュースで日々、報道されている殺人事件に、自分は『ひどい事件だなあ』と思うわけですが、犯人も被害者も、ともに意識のない物理的存在かもしれないのですよね。。。

 

あるいは、自分に見えている他人は、すべて、単なる映像であり、虚構にすぎないのかもしれません。