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プログラム

ワードプレスでJavaScriptが動かないときの原因は、コレが多い。

ワードプレスでJavaScriptが動かくて、困った経験をお持ちの方は多いでしょう。

かくいうわたしもその一人。

原因は、記事内容を記述する場所に、テキストモードで、

直接、「script」タグを書き込んでいたから!!

でした。

一般的なHTMLタグは、直接書き込んで動作しているため、うっかりしていたのですが、どうやら、scriptタグは記入しても無駄(意味がない)そうです。

解決法としては、プラグインはあまり良いものは見当たらないです。

関数を使って、jsを呼び出すのがよさそうです。

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プログラム

ワンステップでGoogleニュースのRSSフィードを自動作成します

グーグルニュースの新着情報は、RSSフィードで配信されています。

特定の語句で絞り込むことも可能です。

この機能は、とても便利です。

しかし、RSSフィードのURLを自作するのは、けっこう大変ですね。

そこで、ここでは、特定の語句を含むグーグルニュースのRSSフィーのURLを自動作成するサービスを提供します。

こちらで自動作成できます。

使い方は簡単です。

下のフォームに、語句を入力してください。

最新のグーグルニュース(日本語)が、RSSで取得できるURLが表示されます。

たとえば、「サッカー」と入力してボタンを押すと、このようにRSSフィードのURLが自動生成されます。

URLを自動作成。特定の語句を含むグーグルニュースのRSSフィーのURLを自動作成します。

URLをコピーして、RSSリーダーに登録するなど、ご活用ください。




なお、お勧めのRSSリーダーは、Feedlyです。
App Store (iOS)Google Play

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散録

新型コロナのせいで、ズル休みがしにくくなった

みなさんが、平日の仕事がある日の朝、うっかり寝坊したとしたら、どうしますか?

 

たとえば、9:00に始業なのに、起きたのが8:50分。

 

いまから急いで準備しても、職場につけるのは10:00くらいとします。

 

みなさんなら、遅刻して職場に向かいますか?

 

もちろん、あらかじめ、職場には遅刻することを電話する必要がありますね。

 

電話で、正直に「寝坊した」などと言えば、職場の人たちは不快に思うでしょう。

 

ここで、嘘も方便という言葉があります。

 

電話で、体調が悪いから少し遅れるとか伝えれば、とりあえずはオッケーでしょう。

 

あるいは、いっそのこと有給休暇を使って休んでしまうこともありえます。

 

…少し前までは。

 

いまは「体調が悪い」なんて言ってしまうと、コロナ感染か!?と疑われ、PCR検査してもらってこい!なんて命令が下るやもしれません。

とても、面倒ですよね。

 

寝坊時の対応に限りませんが、コロナによって、体調不良を言い訳にしたズル休みがしにくくなったなぁ、と思う今日この頃です。

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ビジネス

ランチに5千円のうな丼を食えと言うホリエモン

ホリエモンが、ランチは外部の人と食してお金をかけろという話をしているそうです。

ホリエモンが「ランチでは5000円以上のうな丼を食え!」と豪語する理由 500円ランチをしているヤツに人は集まらない

https://news.yahoo.co.jp/articles/617ddae79ad4b41d225f7774d2866901c47f6fcb

 

酒食にお金を費やすことで一番得られるものは、幅広い人間関係だ

安いメシで腹を膨らませているビジネスパーソンに、良質な人脈が築けるとは思えない。

 

この中で、5000円の鰻丼を食べろと言っています。

 

しかし、よくよく調べてみると、この5000円という数字は、じつは「5000円以上ならば経費で落とせる」というラインみたいです。

私はビジネスパーソンではないのでアレなのですが、こういう背景を知ると、少し情報の見方が変わりますね。

ちなみに、これを読んで気付かされましたが、アフターコロナの新生活様式で長らく食事会は制限されるでしょうから、ビジネスパーソンでなくても、その中でどのようにして良好な人脈を築くことができるのかがこれからの課題になりそうですね。

ところで、食事会は、同じモノを送ってリモートでやれば感染リスクは極限されるのだろうかと妄想しますが、そういった意味で手数料を取るビジネス(サービス)もありかもと思われます。

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Column

死から隔絶された近代社会

連日、コロナの死亡者数が報じられています。

 

これほど、死を意識する現状は、特殊と言えるかもしれません。

 

ところで、コロナ禍によって、現代社会が『死』から隔絶された社会であるという認識が強まったように思います。

 

すなわち、現代では、人間-大半は高齢者-に訪れる『死』は、病院という社会から隔絶された場所で迎えられ、その現場や経過において、一般的な若者や中年世代の人々には、距離感の遠いものとなっています。

その背景には、高齢化と、地域の中でのつながりの希薄化と、医療の進歩、今と昔の死因の変化などがあるでしょう。

 

データ

1951年には、自宅での死亡は82.5%でしたが、2009年には、わずか12.4%に激減しています。

代わりに病院での死亡が9.1%→78.4%と激増しました。

厚労省ウェブサイトより引用

表 死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移

年次 総数 病院 診療所 介護老人
保健施設
助産所 老人
ホーム
自宅 その他
死亡数
1951 昭和26年 838 998 75 944 21 511 261 691 901 49 381
55 30 693 523 85 086 21 646 402 533 098 53 291
60 35 706 599 128 306 25 941 791 499 406 52 155
65 40 700 438 172 091 27 477 774 455 081 45 015
70 45 712 962 234 915 31 949 428 403 870 41 800
75 50 702 275 293 352 34 556 193 334 980 39 194
80 55 722 801 376 838 35 102 30 274 966 35 865
85 60 752 283 473 691 32 353 10 212 763 33 466
90 平成 2 年 820 305 587 438 27 968 351 2 177 657 26 889
95 922 139 682 943 27 555 2 080 2  14 256 168 756 26 547
2000 12 961 653 751 581 27 087 4 818 2 17 807 133 534 26 824
05 17 1 083 796  864 338  28 581  7 346 3  23 278  132 702  27 548
07 19 1 108 334  879 692  28 505  9 232 1  28 247  136 437  26 220
08 20 1 142 407  897 814  28 946  10 921  33 128  144 771  26 827
09 21 1 141 865  895 356  27 802  12 600 2  36 814  141 955  27 336
構成割合(%)
1951 昭和26年 100.0 9.1 2.6 0.0 82.5 5.9
55 30 100.0 12.3 3.1 0.1 76.9 7.7
60 35 100.0 18.2 3.7 0.1 70.7 7.4
65 40 100.0 24.6 3.9 0.1 65.0 6.4
70 45 100.0 32.9 4.5 0.1 56.6 5.9
75 50 100.0 41.8 4.9 0.0 47.7 5.6
80 55 100.0 52.1 4.9 0.0 38.0 5.0
85 60 100.0 63.0 4.3 0.0 28.3 4.4
90 平成 2 年 100.0 71.6 3.4 0.0 0.0 21.7 3.3
95 100.0 74.1 3.0 0.2 0.0 1.5 18.3 2.9
2000 12 100.0 78.2 2.8 0.5 0.0 1.9 13.9 2.8
05 17 100.0 79.8 2.6 0.7 0.0 2.1 12.2 2.5
07 19 100.0 79.4 2.6 0.8 0.0 2.5 12.3 2.4
08 20 100.0 78.6 2.5 1.0 2.9 12.7 2.3
09 21 100.0 78.4 2.4 1.1 0.0 3.2 12.4 2.4

 

注: 平成2年までは老人ホームでの死亡は自宅又はその他に含まれている。

 

おそらくは、昔は口から食事を取れなくなったら死に向かうだけだったのが、現代では、胃ろうや栄養チューブ、点滴など、延命する手段が発達したことが主要因かと思われます。

 

昔だと、 「近所のおじいさんが肺炎をこじらせてもうすぐ死にそうだ」となれば、その情報は地域に伝わり、人々は『死』というものを身近に感じたことでしょう。

それが、現代になり、これから死にそうな人や死にゆく人を目の当たりにする機会がほとんどなくなりました。

現代では、若者が死を意識する状況があるとすれば、祖父母の死くらいでしょうか。

ほかにも、自宅での葬式も減りましたね。

多くは、葬儀場で行われています。

これも、死との距離が遠くなっている一因かもしれません。

 

では、もっと『死』が身近に感じられる世の中になれば良いか?というと、そんな感じもしないわけで。。。

 

しかし『死』が、ほぼ完全に社会から隔絶されている現代も、いかがなものかと思ってしまいます。

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散録

日本でインフレが起きないことと自己肯定感の低さ

安倍政権以降、物価2%上昇を目標にしていた日本。

しかし、なかなかインフレが進みません。

ふと思ったことですが、、、

その原因に、日本人の自己肯定感の低さがあるかもしれません。

内閣府の調査では、日本人は、国際比較で、自己肯定感か低いのですね。

私なんか大したことない

私は周りより劣っている…

こんなふうに自己肯定感が低いということは、自分の価値を低く見積もることてす。

これは就職や転職で、給与を高くするように交渉できないことにつながったり、

また、たとえば、パン屋さんが、パンを売る時。

「自分のパンは、めちゃめちゃ美味しいわけではないから…」

と考え、一個200円で売ればいいところ、150円に設定してしまう、というようなことがありそうです。

ひょっとしたら、実は、日本人の自己肯定感を上げれば、日本の物価は上がるのではないか…?

そんなことを思ったのです。

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介護

認知機能の衰えた高齢者は免許を返納したら自転車しかないか!?

かつて

認知機能に問題のある高齢者は、事故を起こすから、運転させないために免許を返納させろ

という論調が一時期ありました。

 

それを受けてか、道交法が改正され、いまでは、75歳以上の高齢ドライバーには、医師の診断が義務付けられています。

事故を防ぐためにはこれでよいという判断になるのでしょうが、、、

 

地方の高齢者ですと、自動車がないと生活できないという事情があります。

診療所に行けない、薬局に行けない、食料品を買いに行けない、ということになってしまいます。

とくに懸念されるのは、免許を返納した結果、引きこもりになってしまう可能性があることです。

孤立した高齢者は、体が衰えるのも早くなり、健康寿命が短くなります。

 

ところで、国は免許を返せ、という一方で、免許を返納したあとの高齢者への対応は自治体に任せられている部分が大きいのですね。

自治体によって、バスの割引をやっていたり、タクシーの割引をしたりなどあるそうですが、

好き勝手にどこへでもいけるわけではないので、免許を返納したあとには自由が制限された辛い生活が待っているのは想像に容易いでしょう。

とはいっても、外出せずに家に閉じこもっているわけにもいきません。

免許を返した高齢者は、どうすればよいのか。

 

まぁ自転車を使うしかないだろうなぁと思って調べてみると、高齢者向けの自転車が存在するようです。

こげーる。

免許を返納した人にとって車の代替手段になりはしないでしょうが、まぁ仕方ない感じはしますね。

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散録

ひろゆき氏がストレスという人がいるらしい

とあるラジオ番組を聞いたんですが、

そのラジオのパーソナリティさんの友人の職場の先輩が、『ひろゆき見てるよ』と言っていたそうなんですね。

ひろゆき(敬称略)のYouTubeを見ている、という意味なのだそうです。

わたし自身、たまに、ひろゆきのYouTubeを見ているので、特に何とも思わないのですが、

その友人さんは、その先輩に、すごくストレスを感じたそうなのです。

根底にあるのは、その友人さんは、ひろゆきが好きじゃないということらしいのです。

『なんだろう、やめてもらっていいですか』

とか、そういうフレーズも嫌なんだそうです。

ひろゆきでストレスが溜まる人がいるなんて、想像したことがありませんでしたが、

まぁ、言われてみると、不快に思う人もいるんだろうなぁと思った次第です。

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アニメ・漫画

ひぐらしのなく頃に業・卒の時系列まとめ

郷壊し編(業のみ)

高校で勉強についていけない沙都子。エウワに授けられた力により繰り返すが、うまくいかない。梨花ちゃんを雛見沢に閉じ込めたいと願うようになる。

一方、繰り返しにより、サトコの叔父や、高野三四が改心してしまい、このままでは梨花ちゃんを雛見沢に閉じ込められないと悟る沙都子。そこで、沙都子は、入江診療所で、注射薬をゲットする方法を見つけ、自分で惨劇を引き起こす方針へ舵を切る。

 

鬼編→綿編

梨花ちゃんは、鬼編で疑心暗鬼に囚われた圭一にアドバイスしたり、綿編で圭一に魅音に人形をプレゼントさせたりしたが、いずれも、結局、梨花ちゃんは殺されてしまう。

梨花ちゃんは死ぬ前の数時間の記憶を失っており、誰に殺されたか覚えていないため、謎が解けない。

 

祟編→猫編

祟編の最後(猫編の最初)で大石に殺された。

これまでの梨花ちゃんなら大石に殺されたことを忘れていたたずであったが、羽入が一時的に梨花ちゃんの力を戻したため、大石に殺されたことを覚えていられた。

その力は継続する。

羽入は繰り返す者を殺す剣の存在を教える。

『だれを殺せばいいの?』と叫ぶ梨花ちゃんに、口をつぐむ羽入。

去る羽入と泣く梨花ちゃん。

その後に繰り返される惨劇。

悪夢が祟りだと教え、巫女を代わるように言われたと語る沙都子。

そして梨花ちゃんを殺して抱きしめる沙都子。

 

そして梨花ちゃんの言葉。

『ごめんね…私が間違ってた…』

 

〜中略〜

 

何も起きない世界。

 

〜中略〜

 

びっくり箱(前日まで)を取り出したところで、うずくまる沙都子。

なぜ分かったのかと聞かれて拳銃を取り出す沙都子。

 

 

梨花ちゃんは沙都子を剣で殺すか否かの判断を迫られることに!!??

 

・・・ところで、綿騙し編と綿明し編とで、描写の違うシーンがちょこちょこあることが話題ですね。

いったいどういうことなのか、、、謎は多いです(。-`ω-)

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Column

人種差別発言と正義

人種差別的発言NOというのは、もともとは、政治家なんかに適用されていたルールです(たぶん)。

そこには、アメリカ国内の人種の多様性や、国際問題への懸念などがあったのでしょう。

 

これが、最近では、アーティストや音楽家などにまで一気に波及してきた感があります。

有名人が、ひとたび人種差別発言をすれば、袋叩きにあう。

たいていは、SNSの普及により、炎上ネタ(コンテンツ)として悪趣味な人たちに遊ばれているのが実際でしょうけれども、発言に気をつかう、なかなか大変な世の中になっています。

 

とくに、アメリカでは、有名人はクリーンな発言しかできなくなってきている、厳しい状況のようです。

最近では、有名人が、過去の発言をほじくり返されて叩かれるケースまで。

[ビリー・アイリッシュが、アジア系への差別用語を発する動画が拡散された事例]

人種差別発言はいけないのか?

ここで、人種差別発言はいけないのか? という点については、「思うのは勝手だが発言するのは決して許されない」という立場や「発言してもいいが責任を持て」という立場など、様々な立場があるでしょう。

わたしは、差別的発言を受け取る方が聞き流せばいいだけ、と思います。

『馬鹿な事を言っているだけ』と無視すればいい話なのです。

ただ、その考えが正しいのかと思案してみるに、それは、差別的発言をする人が少数に留まる現状をベースにしているのであって、

極端ですが、黒人を奴隷にしていた歴史や、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の事例に思いを馳せると、人種差別的な思想が拡大しては困るし、それを防ぐような措置は必須であると考えたりしてしまうのです。

ちなみに

最近は、発言だけでなく、ジェスチャーまでも人種差別だと言って規制されるようです。

これは日本人には、知ろうとしないと知ることの難しい領域ですが、気をつけたいものですね。

注意)たとえば、OKサイン(オッケーサイン)は近年、白人至上主義のシンボルに使われるようになり、元の意味より人種差別の意味に解釈されることも増えている要注意サインになっているのだそうです。

トランプ前大統領の影響でしょうか。