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死から隔絶された近代社会

連日、コロナの死亡者数が報じられています。

 

これほど、死を意識する現状は、特殊と言えるかもしれません。

 

ところで、コロナ禍によって、現代社会が『死』から隔絶された社会であるという認識が強まったように思います。

 

すなわち、現代では、人間-大半は高齢者-に訪れる『死』は、病院という社会から隔絶された場所で迎えられ、その現場や経過において、一般的な若者や中年世代の人々には、距離感の遠いものとなっています。

その背景には、高齢化と、地域の中でのつながりの希薄化と、医療の進歩、今と昔の死因の変化などがあるでしょう。

 

データ

1951年には、自宅での死亡は82.5%でしたが、2009年には、わずか12.4%に激減しています。

代わりに病院での死亡が9.1%→78.4%と激増しました。

厚労省ウェブサイトより引用

表 死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移

年次 総数 病院 診療所 介護老人
保健施設
助産所 老人
ホーム
自宅 その他
死亡数
1951 昭和26年 838 998 75 944 21 511 261 691 901 49 381
55 30 693 523 85 086 21 646 402 533 098 53 291
60 35 706 599 128 306 25 941 791 499 406 52 155
65 40 700 438 172 091 27 477 774 455 081 45 015
70 45 712 962 234 915 31 949 428 403 870 41 800
75 50 702 275 293 352 34 556 193 334 980 39 194
80 55 722 801 376 838 35 102 30 274 966 35 865
85 60 752 283 473 691 32 353 10 212 763 33 466
90 平成 2 年 820 305 587 438 27 968 351 2 177 657 26 889
95 922 139 682 943 27 555 2 080 2  14 256 168 756 26 547
2000 12 961 653 751 581 27 087 4 818 2 17 807 133 534 26 824
05 17 1 083 796  864 338  28 581  7 346 3  23 278  132 702  27 548
07 19 1 108 334  879 692  28 505  9 232 1  28 247  136 437  26 220
08 20 1 142 407  897 814  28 946  10 921  33 128  144 771  26 827
09 21 1 141 865  895 356  27 802  12 600 2  36 814  141 955  27 336
構成割合(%)
1951 昭和26年 100.0 9.1 2.6 0.0 82.5 5.9
55 30 100.0 12.3 3.1 0.1 76.9 7.7
60 35 100.0 18.2 3.7 0.1 70.7 7.4
65 40 100.0 24.6 3.9 0.1 65.0 6.4
70 45 100.0 32.9 4.5 0.1 56.6 5.9
75 50 100.0 41.8 4.9 0.0 47.7 5.6
80 55 100.0 52.1 4.9 0.0 38.0 5.0
85 60 100.0 63.0 4.3 0.0 28.3 4.4
90 平成 2 年 100.0 71.6 3.4 0.0 0.0 21.7 3.3
95 100.0 74.1 3.0 0.2 0.0 1.5 18.3 2.9
2000 12 100.0 78.2 2.8 0.5 0.0 1.9 13.9 2.8
05 17 100.0 79.8 2.6 0.7 0.0 2.1 12.2 2.5
07 19 100.0 79.4 2.6 0.8 0.0 2.5 12.3 2.4
08 20 100.0 78.6 2.5 1.0 2.9 12.7 2.3
09 21 100.0 78.4 2.4 1.1 0.0 3.2 12.4 2.4

 

注: 平成2年までは老人ホームでの死亡は自宅又はその他に含まれている。

 

おそらくは、昔は口から食事を取れなくなったら死に向かうだけだったのが、現代では、胃ろうや栄養チューブ、点滴など、延命する手段が発達したことが主要因かと思われます。

 

昔だと、 「近所のおじいさんが肺炎をこじらせてもうすぐ死にそうだ」となれば、その情報は地域に伝わり、人々は『死』というものを身近に感じたことでしょう。

それが、現代になり、これから死にそうな人や死にゆく人を目の当たりにする機会がほとんどなくなりました。

現代では、若者が死を意識する状況があるとすれば、祖父母の死くらいでしょうか。

ほかにも、自宅での葬式も減りましたね。

多くは、葬儀場で行われています。

これも、死との距離が遠くなっている一因かもしれません。

 

では、もっと『死』が身近に感じられる世の中になれば良いか?というと、そんな感じもしないわけで。。。

 

しかし『死』が、ほぼ完全に社会から隔絶されている現代も、いかがなものかと思ってしまいます。

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人種差別発言と正義

人種差別的発言NOというのは、もともとは、政治家なんかに適用されていたルールです(たぶん)。

そこには、アメリカ国内の人種の多様性や、国際問題への懸念などがあったのでしょう。

 

これが、最近では、アーティストや音楽家などにまで一気に波及してきた感があります。

有名人が、ひとたび人種差別発言をすれば、袋叩きにあう。

たいていは、SNSの普及により、炎上ネタ(コンテンツ)として悪趣味な人たちに遊ばれているのが実際でしょうけれども、発言に気をつかう、なかなか大変な世の中になっています。

 

とくに、アメリカでは、有名人はクリーンな発言しかできなくなってきている、厳しい状況のようです。

最近では、有名人が、過去の発言をほじくり返されて叩かれるケースまで。

[ビリー・アイリッシュが、アジア系への差別用語を発する動画が拡散された事例]

人種差別発言はいけないのか?

ここで、人種差別発言はいけないのか? という点については、「思うのは勝手だが発言するのは決して許されない」という立場や「発言してもいいが責任を持て」という立場など、様々な立場があるでしょう。

わたしは、差別的発言を受け取る方が聞き流せばいいだけ、と思います。

『馬鹿な事を言っているだけ』と無視すればいい話なのです。

ただ、その考えが正しいのかと思案してみるに、それは、差別的発言をする人が少数に留まる現状をベースにしているのであって、

極端ですが、黒人を奴隷にしていた歴史や、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の事例に思いを馳せると、人種差別的な思想が拡大しては困るし、それを防ぐような措置は必須であると考えたりしてしまうのです。

ちなみに

最近は、発言だけでなく、ジェスチャーまでも人種差別だと言って規制されるようです。

これは日本人には、知ろうとしないと知ることの難しい領域ですが、気をつけたいものですね。

注意)たとえば、OKサイン(オッケーサイン)は近年、白人至上主義のシンボルに使われるようになり、元の意味より人種差別の意味に解釈されることも増えている要注意サインになっているのだそうです。

トランプ前大統領の影響でしょうか。

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大学受験のコストパフォーマンスが高い勉強法と戦略について。

職場で、どうやって受験勉強をしたか?ということが話題になりました。

自分は、いったいどんなふうに勉強していたかなぁと、そのとき振り返ってみましたが、いまになって思うと、けっこう博打的ではあったけれども、理にかなった方法であったと思われました。

どうやったかというと、まず、夏ごろに受験予定の大学の入試問題(いわゆる二次試験)を、過去15年分くらい、出題傾向をチェックしました。

そして、出題傾向が、過去15年分くらい、ほとんど同じであることを把握しました。

そこで、「つぎの入試も出題傾向が例年と同じであるとすれば、本番で、すべての問題を解けるのか?」ということを考えたところ、「本番で、すべての問題を解ききることは不可能である」という結論に達しました。

その次に、「どのような時間配分で、どの分野の問題を解けば、最も高い得点を狙えるのか?」と考えました。

その結果、たとえば、英語は読解を捨て、数学はⅢCを捨てることを決めました。

すなわち、本番の入試では、たとえば、英語では読解問題を解かないし、数学ではⅢCの問題を解かない、と決めたのです。

他方、本番で解くと決めた分野については、重点的に勉強することにしました。

たとえば、英語については英作文の勉強に注力し、数学についてはⅡBの勉強に注力するなどです。

 


 

その後の受験本番では、狙い通り(運良く)、出題傾向が、例年と同じでした。

そのため、ほどよい得点が獲得でき、合格できました。

 


 

みなさんは、どのように戦略を立てて、受験勉強をしていたでしょうか。

 

五里霧中/暗中模索の学生には、『こうやって勉強をしたよ』というアドバイスがあると、意外と喜ばれるのかもしれません。

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大人とは何か?

大人について考えていました。

そうして、ふと思ったのです。

大人とはなんだろうかと。

みなさんは、自分自身について、「大人になった」と思うこと、ありますか?

私は全然ないんですよね。

子どものときよりは、たしかに、できることは増えました。

思考力も幾分か向上したとは思います。

社会的に適切な振る舞い方などについても、多くを学びました。

しかし、心に関しては、子どもの頃から、ほとんど変わっていない気がしています。

これまで私がやってきたこととは、理想の大人を目指して、大人のフリをし続けて、それをただ積み重ねてきただけのような気がしています。

そうであれば、私は死ぬまで大人のフリをし続けるだけなのかもしれません。

…かつて、私が子どもの頃に尊敬し、憧れを抱いた大人たちも、同じような心境だったのでしょうか。

[そうであってほしい]と思う一方で、[そうであってほしくない]とも思いますね。

はたして、いつか「心も大人になった」と自分が思える日は来るのでしょうか。

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現在の交際相手と結婚できる関係かどうか

いきなりですが、あなたは今のお相手と結婚できる関係にあるでしょうか?

お相手がいない方はすみません。

…こんな話があります。

想像してみてください。

貴方はお相手と同棲しているとします。

お相手は、いつも帰ってくる時間に、なぜか帰ってきません。

連絡もありません。

そして、深夜になり日が変わっても、帰ってきません。。。

このような状況になったとしたら、貴方は何を考えるでしょうか?

シンキングタイムです。

 

 

もしも、

「浮気でもしてるんじゃないか?」

なんて考えた人は、結婚しちゃいけないそうです。

考え方が自分本意だからです。

 

これが、もしも、

事故にでも遭ったんじゃないかな?

無事なのかな?

大丈夫なのかな?

こんなことを考えられる場合は、結婚しても大丈夫だそうです。

相手への信頼がベースにあるから、とのことです。

 

納得できる話ですね。

 

みなさんは、どんなことを思ったでしょうか。

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知恵の輪の面白さとは、考えること。

先日、購入した知恵の輪なんですけれども、さっそく届いたのでやってみました。

レベル的にはおそらく、下の上〜中の下といったところなのですが、やってみると、なかなか楽しめました。

はじめはテキトーに動かすわけですが、単に動かすだけでは外せないと分かり、

わたしは、次第に、どうすれば外せるのかを理論的に考えるようになりました。

 

闇雲に動かして外れても、それは偶然の産物でしかないため、それを是とすることができない(決して喜べない)という私のパーソナリティがそうさせたのです。

 

つまり、

⑴こうすればよいのではないか、と考える

⑵やってみる

⑶うまくいかなければ、別の仮説を立てる

これを繰り返すわけですね。

 

たとえば、これ。

解けたらアハ体験。知恵の輪の面白さ、楽しさ、難しさ、レベル

どうやって、リングを外せると思いますか?

これは、一見むずかしそうですが、理屈で考え、ひらめくと、簡単に解けるのです。

理屈とは、「リングの直結より短い場所は通る」というものです。

そうすると、「リングが通りうる場所は、そのルートだろう」、という推論にたどり着きます。

もちろん、それが正解となります。

ご検討ください。

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互いに削り合う日本人。日本の所得は上がるのか。

日本だけ、諸外国に比べて、給料が上がっていないという話があります。

なぜこんなことが起きるのかというと、それはやはり日本の国土の狭さと、人口密度と、資本主義との掛け合わせによるものなのかなと思われるわけです。

 

わたしの住んでいる場所は、そこそこ都市なのですが、近年、これまで無利用だった土地に、商業施設がつぎつぎと建設されています。

 

さまざまなお店が新規オープンしているというわけです。

 

そんな中、目立つのは、コンビニの近くに別のコンビニができるとか、ドラッグストアの近くに別のドラッグストアができるとか、似た店舗/似たような店舗が増えていることです。

 

経済のパイは限られているのに、それを奪い合おうとする参加者が増えていくんですよね。

 

お互いに売り上げを減らし合う、俗にいう「削り合い」なわけです。

おまけに、そのような競争環境では、商品やサービスの値段を決めるときに、どうしても、競争相手の影響を受けてしまい、大きく値上げをすることは難しくなります。

 

そもそも日本はデフレを放置したために消費者が安い物価に慣れてしまい企業側が値上げができないという事情もあるかもしれません。

 

日本全国で、こんなことが起きているんでしょうか。

 

このような削り合いを避けるには、ほかには真似できないような付加価値の高い商品やサービスを生み出すくらいしか思いつきませんが、

現状、そんな事をできる人は多くはなく、

やはり負のループは解消しないのだろうなと思われるのですね。

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トイレタイムは残業時間に含まれるか?

ふと、トイレタイムは、残業時間に含めて考えて良いのか気になりました。

たとえば、定時を過ぎたあと、

残業(10分)→トイレ(10分)→残業(10分)→打刻して帰宅

という時系列では、どうなるのでしょうか?

この場合に申請してよい残業時間は、帰宅までの30分間(トイレタイム含む)、あるいは、実労働時間の20分のどちらなのでしょう?

まずは、一般的な感覚はどちらか某所で質問してみました。

そのアンケートでは、30分間という回答が多数でした。

ちなみに、ブラック企業では、就業規則でトイレ時間を賃金カットするところもあるとか…怖いですね。

 

さて、この問題、法律的にはどうなのでしょうか。

判例によると、労働時間とは「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することが出来るか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約の定めのいかんにより決定されるべきものではない」と述べられています(最判平成12年3月9日三菱重工事件)。

この説示をもとにして、

現在の解釈では、トイレは、生理現象ですし(避けられない)、仕事現場と物理的に近い(職場へ戻ることが前提)ですから、労働時間に含めて考えれば良い、とされているようです。

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洗濯機の値切り方の例(安く買った方法)

先日、家庭の事情で、大容量の洗濯機が必要になってきたので、新しい洗濯機を、家電量販店に買いに行きました。

お目当ての洗濯機は、10kg超の洗濯物が洗える洗濯機でした。

前に、その家電量販店で下見をしていたので、それを買うつもりで行ったのです。

オープン価格は、約15万円。

私は家電量販店について早々、若い店員さんを捕まえました。

そして、「あの洗濯機、値段どれくらいになりますか?」と質問すると、店員さんは何やら端末を操作して、出てきた値段が14万円。

 

そんなに下げてくるなら、まだいけるだろうと思って、私は「もう一声」とつぶやきます。

そのあとで出てきた値段が13万5千円。

それでも、まだ相手の顔に余裕が見られました。

若い店員さんなので、そのあたり、まだ不慣れなのかもしれません。

 

そこで、さらに私は聞きました。

 

「13万円はいけますか?」

 

苦い顔をしながら「ちょっとお待ちいただけませんか?」といって、どこかへ去る店員さん。

戻ってきて店員さんが提示したのは13万2千円。

「これが精一杯です」と。

ここが妥協点かと納得し、それで了承することにしました。

しかし、いざ支払いのとき、まだまだ割引ができないかと考えて、支払いの時にその量販店のアプリクーポンを提示してみました。

すると、店員さんは「ここまで値下げしてるのでクーポンの併用はちょっと・・・」と渋い顔。

そこで、さらに僕はその家電量販店のクレジットカード加入者だけがもらえる割引券を提示します。

あまりにも割引を迫る僕に店員さんは困ったことでしょう。

「もうこれが限界です」といいながら、さらに千円値下げしてくれました。

結果、13万1千円になりました。

※もうちょっと頑張れば、13万ぴったりになったかもしれませんが

これは調べてみたら、価格コムの最安値より5千円くらい安い値段でした。

そのうえ、ポイント還元で6500ポイントくらいを貰えて、加えて、家電量販店の長期保証も付いてくるわけですから、良い買い物をしたと言えます。

ところで、みなさんは家電量販店で、値切りしますか?

頑張れば、大きく下がることもありますので、ふだん値切りしない人も、トライしてみてください✨

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電車で臭いおじさんに遭遇した時のベストな対応

みなさんは、電車に乗っているときに、臭いおじさんに遭遇したことはありますか?

 

実は、わたしは、さきほど(この記事を書く前)に、電車内で臭いおじさんに遭遇しました。

 

電車に乗り込んで、座席に座った後のことです。

わたしの横に、ちょっと薄汚れたおじさんが座ってきたんですね。

そのすぐ後、マスク越しに、徐々に臭い匂いが広がってくるのが分かりました。

 

たとえるなら、トイレの匂いです。

 

そのとき、ふと、相対して座っている人たちを観察したのですが、あからさまに匂いに反応している人は見当たりませんでした。

もちろん、みんなマスクをしていたため、表情がよく分からずに反応を見逃した可能性はありますが、少なくとも、みんなスマホを眺めるなどしており、臭いおじさんをみている人はいませんでした。

…大人の対応ってやつですよね。

 

しかし、わたしはその臭い匂いが嫌だったので、何か行動を取ろうと思いました。

選択肢として思いついたのは、つぎの二つでした。

1.違う車両に移る

2.いったん電車を降りる

 

 

少しの間、考えた結果、わたしが選んだ行動は、2.いったん電車を降りる でした。

 

なんとなくですが、周りの乗客から『逃げた』と思われるのが嫌だったんですね。

 

それで、電車を降りるフリをしてしまったのです。

 

冷静に考えれば、電車で乗り合わせた人は、見ず知らずの他人ですし、別に『逃げた』と思われたって支障はありません。

 

なにより、降りた駅で次の電車を待つわけですから、時間がもったいなかったです。

 

場合によっては、わたしの行動が、周囲の、席を離れたい人に、席を立つ勇気を与えるきっかけになったかもしれませんしね。。。

 

「車両を移る」という行動を取れなかったことが、大いに悔やまれるのです。

 

つぎに同じような状況になったら、絶対に車両を移るぞ!という決意をしました。

 

 

…さて、みなさんの中にも、こういう場面に遭遇する機会のある人はいると思うのですが、こういうとき、通常、みなさんはどうしますか?

 

臭い匂いを我慢して、座り続けるでしょうか?

 

ちなみにですが、人間、いざとなると、なかなか動けないものです。

このような場面に出くわしたことのない方も、いざというときのため、頭の中でシミュレーションしておくと良いかもしれません。

お読みいただきありがとうございました。