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フェアトレードは、格差を固定する?

本日は、オーガニックショップで、あるチョコレートを買いました。

 

買ったのは、ピープルツリーのチョコレート。

 

フェアトレードの原材料で作られたチョコレートを売っている会社のチョコレートです。

 

牛乳の代わりにナッツを絞った植物ミルクのチョコレート。

ビター・ザクロ

これを食べながら考えたのは、、、

フェアトレードとは、社会的・経済的に立場の弱い人が一定の収入を得られるようにする仕組みなのですが、

フェアトレードって、収入保証ではないんですよね。

また、いままでよりもカカオなどが少し高く売れるとしても、それによって、

農家が、裕福な暮らしを送れるようになるわけではありません。

他方、フェアトレードによって、微妙な収入(そこそこの生活水準で生きていける金額)を得られるようにされることで、ひょっとすると、「この環境から脱出したい」というモチベーションが削がれる可能性があります。

そうなると、フェアトレードに関わる農家の人たちは、ずっと農家であり続け、そして、その農家の子どもの世代も、同じように生きていくことになるのかもしれません。

それは格差の固定化と呼べるでしょう。

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サイクルベースあさひでタイヤとチューブの交換にかかるお金

タイヤがパンクした、タイヤがすり減ったときなど、チューブやタイヤ交換をするときに、近くのサイクルベースあさひに行こう、と考えますね。

しかし、気になるのは、その値段。

ここでは、タイヤについて、チューブとタイヤの交換にかかった費用を公開します。

タイヤとチューブの交換費用

2021年に、私が自転車のタイヤのチューブとタイヤ外側を交換したときの、費用の明細です。

アプリに記録が残っていました。

サイクルベースあさひのタイヤ交換、チューブ交換の費用、お金
サイクルベースあさひのタイヤ交換、チューブ交換の費用、お金の明細

 

これは、アプリのクーポンの5%オフを利用したときの値段です。

20径のタイヤ(外側)と、タイヤの中のチューブを、新しいものに交換しました。

それが、4885円でした。

 

以上、参考になりましたでしょうか。

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珈琲は健康に良いのか?という疑問への回答

1日に3杯くらいコーヒーを飲んでいる私ですが、コーヒーに関しては、昔から、健康に関することが言われています。

べつに健康にいいと思って飲んでいるわけではないのですが、これを読んでいる人の中には、その真実が気になる人もいらっしゃるかもしれません。

 

「コーヒーに飲んだ人は大腸癌にかかりにくい」とかは有名ですが。

結論からいうと、「はっきりしない」だと思われます。

世の中の主な研究は、あくまでも、時間をさかのぼった研究なのですね。

コーヒー以外の要因がどうなっているか、そこが重要なのです。

たとえば、コーヒーをたくさん飲む人は、お酒を好んで飲む人が少ないとか、あまり脂っぽい肉を好まないとか、よく運動するとか、喫食習慣や生活習慣が、その他の人と、ちょっと違う傾向にある可能性があります。

そういう隠れた要素が多分にあるのです。

いわゆる交絡因子というやつです。

ところで、昔、こんな研究があったようです。

 

実験は、双子の1人は1日ポット3杯のコーヒーを、もう片方は1日ポット3杯の紅茶を死ぬまで飲み続けるというものでした。

結果は、双子のうち先に死んだのは毎日紅茶を飲んでいた方だったとのことで。

 

このような実験を、世界中の双子で実験すれば、真実に近い答えが得られるでしょう。

 

しかし、そんな実験は不可能ですね。

 

・・・まあ細かいことは気にせず、おいしくコーヒーをいただきたいですね☕️

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SNSとインターネット離れと言葉狩り

こんばんは。

 

人々のインターネット空間の捉え方は、年月と共に、大きく変わってきていますね。

 

それは、人々のアクセスするとメインどころが、ホームページ→掲示板→ブログ→SNSなんていうように変遷したことと無関係ではないでしょう。

 

かつてインターネットに書き込まれることは、『便所の壁の落書きと同じだ』なんて言われていたことがありますね。

 

某掲示板で「⚫ね」といったところで、それは冗談であることが自明であったわけです。

ところが、いまでは、SNSで「⚫ね」と言えば殺害予告だと認定されてお縄になってしまう、余裕のない感じです。

言葉狩りにも近い状況でしょう。

たとえば、Twitterでは、ある人は、Twitterという空間を、便所の壁のように捉え、落書きスペースとして利用しています。他方、ある人は、まるで社会の一部であるかのように捉え、自分を律しつつ、他者に対しても自律を求めています。

前者と後者は共存が難しいのは言うまでもなく。

これに類する状況が招くのは閉塞感、そして引き起こされるのは、インターネット離れらしく。

おそらくは、ローカルさが消えてしまったということです。

この「ローカル」の消失は、なんとなく、現状を理解するための言葉として、しっくりきますね。

特定の趣向をもつ人たちにだけ拡散したいことがある場合、いまのメインのプラットフォームは、不向きなので、リアルに比重がうつるという状況。

人間には

ここでは何を言っても大丈夫だろう

という空間・相手が必要なんですね。

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愚かな恋愛をしている人が見るべき『愛がなんだ』

2019年の映画『愛がなんだ』。

愚かな恋愛をしたことのある人は多いかもですが、

その時は自分ではなかなか自覚できないものです

映画というコンテンツを通して、第三者目線で愚かな恋愛を見ることができる映画。

それが

『愛がなんだ』

です。

ダメな恋愛

愚かな恋愛

地獄みたいな恋愛

もうやめようよ。

みんな幸せな恋愛をしようよ・・・

そんな気持ちになります。

一番、悲惨なのはラストシーンです。

興味がわいたら、ぜひ見てほしい映画です。

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正義の反対は、もうひとつの正義 ー 彷徨うフェミニズム ー

こんな事件。

千葉県警 はネット上で発信していた交通安全の啓発動画に出てくる 女性キャラクター に対し、「表現が性的で公共機関が採用しているのは問題だ」といった意見が寄せられたなどとして動画を削除しました。
ただ、ネット上では表現の自由の観点から抗議する動きも出ています。

 

ガンダムが分かりやすいでしょうか。

正義の反対は、もうひとつの正義なのですね。

自分から見れば、相手は悪だけれども、それは、相手の視点に立つと、立場が入れ替わるだけの話というわけです。

両者とも、自分の思想を正義と確信しているというわけですね。

しかしながら、行き過ぎた正義だと感じる人も、当然いるわけで。

抗議への抗議、というカオス

「「松戸市ご当地VTuberの戸定梨香」を啓発動画に採用したことに対する抗議」について、抗議をしようという試みがあるようです。

 

ちなみに、もとの動画はこちら(消されなければ観られます)。

 

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結婚に証人が要るのは憲法違反の疑い。憲法24条と民法739条と。

結婚のときに、婚姻届には、二人以上の証人の記載が必要です。

法律の根拠は、民法739条です。

第739条

婚姻は、戸籍法 (昭和22年法律第224号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。

前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。

民法739条は憲法違反?

さて、この民法第739条については、憲法に違反している可能性があります。

結婚に関する憲法は、24条です。

参照してみましょう。

憲法 第二十四条

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

論理的に矛盾している

証人がいないと結婚できないというのは、民法の規定は、憲法の「両性の合意のみに基づいて成立」という部分と、矛盾します。
つまり、通常、証人は、結婚に納得した上で記載するのですから、実質的に、婚姻に他者の同意を要求していることから、憲法と民法は矛盾します。
そのうえ、憲法には、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とあるのですから、証人の要求により個人の尊厳が蔑ろにされることは、重ねて憲法違反と言えると思われます。
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多様性という言葉の独り歩きと人権教育

近年はリアルでもネットでも「多様性」という言葉がよく登場しますね。

この言葉が使われるのは、生物・環境についての話の中だったり、人間についての話しの中だったりします。

主には後者(人間)の方でしょう。

いろいろな人がいるのを認め、互いに尊重し合おうという主張とともに、この「多様性」という言葉が登場しますね。

この多様性という言葉なのですが、最近は、使いすぎなんじゃないかと思っています。

曖昧な感じの言葉なのに、たくさん使うのは、意味あるのかな?どうなんだろうな?と思うわけです。

 

結果として、独り歩きしている印象です。

 

多様性という言葉が出てきた背景は、社会活動家が関係しているかもしれませんが、中心にはおそらく、

特定のマイノリティへの差別をやめましょう

ということがあったと思います。

 

※もしも、特定のマイノリティへの差別が存在しない世の中であったなら、多様性という言葉がここまで登場するような変化は無かったでしょう

 

ここで思うのは、拡散周知すべきは、抽象度の高い「多様性」という言葉ではなくて、シンプルに、

マイノリティへの差別をやめましょう

というメッセージだと思うんですよね。

端的で分かりやすく、訴求力があります。

 

まぁ、差別という言葉を持ち出すと、暗い感じになってしまうということはありますが。

 

つまりは、多様性という言葉を使うことで、人々の意識が個別の差別問題にフォーカスされないことが危惧されるということですね。

人権教育

ちなみに、ある日に、図書館に出かけたのですが、そこで人権に関する本を見かけて、読んでみて思ったことがありました。

それは、マイノリティが抑圧されている現状に鑑み『多様性が大事だ』というのは理解できるが、それによって多様性が増すとか、多様性が維持されるとかは考えがたいことと、

先に来るべきは人権の尊重(人権教育)であって、多様性ではないんじゃないだろうか?ということでした。

人権を尊重できれば、多様性は結果としてついてくる気がします。

多様性が大事、多様性が大事、と社会で言われているわけですが、メッセージの転換が必要だと思われたのですね。

人権のほうが、多様性よりも、上の次元にある気がするんですよね。

 

他者の人権を重んじない人が多様性を軽んじることはないでしょうけれども、多様性を重んじるだけの人は、他者の人権を軽んじることがありそうだなぁと思ったのです。

人権教育の絵本

ところで、上で述べた人権に関する本なのですが、図書館でかりた本で、とても良かった本でした。

それは『子どもの権利ってなあに?』というタイトルの本です。

子どもにも分かりやすいイラストとメッセージで、親子一緒に、子どもの人権について考えることができます。

 

絵本の中の最後の方の、

「いつになったら、世界のすべての子どもの権利がだいじにされるようになるのかな。あした?あさって?20年後?」

というフレーズには、考えさせられるものがあります。

 

なお、子どもの権利は、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」に定められています。

この条約は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められています。

18歳未満の児童(子ども)を権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。

前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項を規定しています。

1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。

日本は1994年に批准しています。

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友情結婚のメリット・デメリットとは?

友情結婚とは?
友情結婚とは?

注目される友情結婚

近年、友情結婚が注目されています。

これまでは恋愛結婚が主流でしたが、新たに友情結婚を選ぶ人が増えています。

友情結婚では、恋愛関係にない男女2人が、結婚して生活します。

ほとんどは、同居を前提にします。

同じ家に住むことで、住居費用や食費など、生活コストを下げることができます。

ただし、「結婚している」という状態が欲しいだけという男女は、別居を選ぶこともあります。

計画的に子どもを作れる

友情結婚のメリットとして、一番の特徴は、計画的に子どもを作れることです。

定期的に男女間で肉体関係を持つ恋愛結婚とは違い、友情結婚では、ふつうは肉体関係を持ちませんから、『予定していない妊娠』はありません。

二人が話し合って納得した時期に、妊活します。

もちろん、作らない選択肢もあります。

苗字の問題は残されている

さまざまなメリットがある友情結婚ですが、苗字(姓)をどちらか一方の性に統一しなければならないのが課題として残されています。

恋愛結婚では、女性が、男性の姓に変更するのが一般的ですが、友情結婚では、男女が対等な関係であることが重要ですから、この点は、たとえ友情関係にある二人であっても、揉める原因となりえます。

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キリスト教の神は無慈悲であるという説

キリスト教では、こう言われています。

神は、罪人を救うため、キリストを身代わりとして、裁きました。

そして、神は、キリストを信じる人は罪が赦されて永遠の命を得ることを約束しました。

 

キリスト教では、死者は天国か地獄へ行くことになります。

※ちなみに仏教では、死者は、浄土(じょうど)へ行くか、あるいは、穢土(えど)に行くか、そのどちらかと言われています。

 

ここで、キリスト教の布教に訪れたフランシスコザビエルは、日本人に論破された、という噂話があり、これはこれで面白いと思います。

 

たとえば、ザビエルの訪日時、それまで仏教しか信じていなかった人たちは、ザビエルによれば、地獄へ行ったと述べられるが、そんな神は無慈悲で信仰に値しないと非難されるなどです。

 

恋愛に関する部分で布教に苦労したという話もあります。

 

キリスト教を、すこし違った視点で見られるようになりますね。