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ビジネス

面接で胸を盛るのはNG?バストアップの是非

「就職試験に受かりたい。」

そんな気持ちから、面接での印象を上げるために、胸にパットを入れてバストアップをする女性がいると聞きます。

本来は、ジェンダー平等の観点や、人を外見で判断してはいけないという観点から、胸の大きさで合否を決めてはいけないのは当然ですが。

しかし、日本では、面接官が中高年の男性であることが多いのも事実です。

中小企業などでは、同じような能力の応募者が複数名いたときに、「見た目で決める」というのは、よく聞く話です。

 

では、この事実を踏まえた上で、若い女性が、就職面接に臨むときに、バストアップをする(胸を盛る)べきなのかどうかが問題となります。

 

結論からいえば、NOでしょう。

 

外見が決定打となって女性を選ぶような企業には、就職するべきではないからです。

たとえ、就職できたとしても、このような企業の中では、女性を軽視する風土があるかもしれません。

ひどい場合には、セクハラが存在する企業なのかもしれません。

 

もちろん、ここで述べた話は、おそらく正論です。

「胸の大きさで採用する企業でもいいから、どうしても就職したい」という現実主義の人には、伝わらない話かもしれません。

しかし、やはり就職後のことを考えると、そのような企業への就職は、おすすめできないと思われます。

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散録

洗剤は詰め替え用よりも容器入りがお得な場合がある

ドラッグストアで見かけた、洗剤の値段について。

容器入りのものが、750gで、税込272円だったんですね。

一円あたりでは、2.76g/円というわけです。

一方、詰め替え用が、1000gで415円でした。

2000gでは770円というわけです。

1点買ったときは、一円あたりは、2.41g/円。

2点買ったら、一円あたりは、2.56g/円。

1円あたり、一番多くの洗剤が手に入るのは、容器入りのものとなっていました。

こういう場合は、詰め替えを買うよりも、容器入りを買った方がお得ということになるのですが、おそらく、プラごみ削減(エコ)の観点からは、詰め替えが推奨されるでしょう。

わたしは容器入りの洗剤を買い増したが、みなさんならどうするでしょうか。

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医療

ジェネリック薬は怖い?

いま日本で出回っている薬(とくにジェネリック)の原材料は、インドや中国などでつくられてるものが多く、それを知らずに服用してる人が、たくさんいるという話です。

 

ジェネリック製薬会社のWebサイトでは、「ジェネリック医薬品の原薬は海外の粗悪なものを使っているのではないか?」という問いに、『大丈夫』というような回答を載せていることが多いです。

 

「ちゃんと審査しているよ」というわけなのですが、、、

 

審査が、継続的に行われているわけではなく、単発の書面審査であったら、どう思うでしょうか?

また、たとえば現地に訪問しての製品調査が、抜き打ち検査でなくて、事前に予告された上での調査であったりしたら、、、

 

それでもジェネリック薬を信用できるでしょうか。

 

審査や調査のときだけ頑張り、あとの管理は粗雑だとしたら。

 

つまりは、信用する/しないの問題ですね。

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散録

サイコパスの武士は辻斬りをしていたか?

その昔、刀剣の切れ味を試すため、または武術を磨くために、武士が夜間、往来の寂しい辻に立って不意に人に切りつけていたそうです。

今でいう通り魔ですよね。

 

最近はサイコパスなんていう言葉の認知度が高まり、「サイコパス怖い」という印象なのですが、サイコパスは昔から存在していたと思うので、昔のサイコパスは、現代よりも凶悪犯罪を重ねていた可能性はありそうです。

 

昔は監視カメラもないし、場所によっては、捕まることなく、昼間であっても斬り捨てしまくりのサイコパスな武士もいたでしょう。

 

江戸時代にタイムスリップしたい、なんて言う人もたまにいますが、いきなり斬りつけられるリスクが高いような時代は、あんまり行きたくないなぁと思うのであります。

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アニメ・漫画

アニメ化期待。おもいがおもいおもいさん。

楽しい漫画を見つけました。

「おもいがおもいおもいさん」

面井さんという女子高生が登場します。

タイトルは、想いが重い面井さんという意味で、面井さんの想いが重い話なんですね。

読んでみると、本当に面井さんの想いが重くて面白かったです。

個人的に、ぜひともアニメ化を期待したい作品です。

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ビジネス

愛想のよいコンビニバイトに感じた否定的な感情

家の近くのコンビニに行き、レジに並んだ時に、見たことのないスタッフがいるのに気がつきました。

 

このコンビニには、たまに行くので、どんなスタッフが働いているかを大体把握しているんですね。

 

その新しいスタッフは、見た目、40代の男性スタッフで、僕にかける声の調子とかが良好でした。

ざっくりといえば、「愛想のよい」スタッフでした。

 

しかし、その、愛想のよさに、僕は否定的な感情を抱いてしまいました。

 

その中身は、

「そんなに頑張らなくていいのではないか?」

という思いでした。

時給千円そこそこなのですから、もっと無愛想で、雑な対応でいいと思ったのです。

私は、よくブラック企業に存在する、 賃金の高い低いに関わらず、どんな仕事もプロ意識をもってやるべきだ という考えには反対で、 賃金に見合った働き方をすればよい と考えているのです。

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ビジネス

アライグマは害獣?

1970年代に、アニメ「あらいぐまラスカル」で人気が出たアライグマ。

ペットとして買う目的で、たくさん輸入されたものの、アライグマは気性が荒く、飼育困難で遺棄されることが多く発生しました。

各地で繁殖、定着した結果、さまざまな害をもたらしています。

農業被害、糞害、騒音、希少小動物の捕食、感染症の媒介などです。

現在は、特定外来生物に指定されています。

駆除の対象です。

もちろん、アライグマは、必死に生きようとしているだけで、アライグマには罪はありません。

人の都合により翻弄されるというのは、なんだかなぁ、と思いますね。

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Column

結婚に証人が要るのは憲法違反の疑い。憲法24条と民法739条と。

結婚のときに、婚姻届には、二人以上の証人の記載が必要です。

法律の根拠は、民法739条です。

第739条

婚姻は、戸籍法 (昭和22年法律第224号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。

前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。

民法739条は憲法違反?

さて、この民法第739条については、憲法に違反している可能性があります。

結婚に関する憲法は、24条です。

参照してみましょう。

憲法 第二十四条

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

論理的に矛盾している

証人がいないと結婚できないというのは、民法の規定は、憲法の「両性の合意のみに基づいて成立」という部分と、矛盾します。
つまり、通常、証人は、結婚に納得した上で記載するのですから、実質的に、婚姻に他者の同意を要求していることから、憲法と民法は矛盾します。
そのうえ、憲法には、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とあるのですから、証人の要求により個人の尊厳が蔑ろにされることは、重ねて憲法違反と言えると思われます。
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医療従事者向け

「“統計的に有意差なし”もうやめませんか」

数年前、こんなのが話題でした。

「“統計的に有意差なし”もうやめませんか」 Natureに科学者800人超が署名して投稿

https://www.itmedia.co.jp/news/spv/1903/26/news112.html

調査した科学論文の約半数が、統計的有意性を誤用していたという話です。

「統計的に有意差がない=違いがない」は間違い

という事なのですが、

このような誤解を含む論文が多いというのは、はなかなかの問題で、科学への信頼の基盤を崩しかねない事象です。

 

差がないという仮説を否定できなかったわけですから、正確には、

有意差がない=差がないとは言えない

あるいは、

有意差がない=差があるというエビデンスが見つからなかった

となるのですね。

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散録

他人に心はあるか?哲学的ゾンビ。

こんなことを思います。

 

[命題] 自分に主観はあり、同様に、他人にも主観がある。

 

これは普遍的なものとして捉えられています。

 

それゆえ、

他人の喜ぶことをしようとか、

反対に、人の嫌がることはするべきでないとか、周りの人に配慮しましょうとか

こう言われているのですね。

 

しかし、上記の命題は、理屈に過ぎません。

 

自分に分かるのは、自分に主観があることのみです。

 

他人の主観の存在は、証明のしようがないのですね。

 

他人の笑いや涙などの感情すべては、実在しない可能性がありますね。

 

最近の流行り言葉でいえば、哲学的ゾンビでしょうか。

 

そう考えると、他人に何をしても、構わないという発想が生まれます。

 

その発想は、犯罪にもつながりうるものですが、命題を証明できない以上、その発想は否定しきれるもなではないのですね。

 

たとえば、ニュースで日々、報道されている殺人事件に、自分は『ひどい事件だなあ』と思うわけですが、犯人も被害者も、ともに意識のない物理的存在かもしれないのですよね。。。

 

あるいは、自分に見えている他人は、すべて、単なる映像であり、虚構にすぎないのかもしれません。